自分不要論についてずっと考えていた。

当たり前のことだけど、私がいなくてもきっと世界はぐるぐる回っていく。

私がいなくなっても取替えはきく。

その場でもし悲しんだ人がいても、時が経てばきっと忘れられる存在になっていくだろう。

じゃあ私は何のために存在してるんだろう。

結果がダメで、元の大学に戻ったとしても、自分がやりたいことを抑えていくとしても、きっと何も変わらない。

ただ、平坦に毎日が淡々と流れていくのだろう。

そして私は何か「やりたかったもの」の代わりを見つけて、それをさも面白そうにこなしていくのだろう。バイトをし、サークルに入って、適当に誰かを好きになり、そんな風にこれから3年間…

そんなもんだろうと思う。

今日はやる気が出なくて少ししか勉強をしなかった。

テレビで読者モデルになるという夢を果たした16歳の女の子が言っていた言葉。

「努力すれば夢は必ずかなうんだから」

何にも分かってないね。

この世界に、努力して、ふんばって、それでも夢破れて去っていった者が何人いると思う?

わたしはそういう人を何人も見てきた。

そして最近も友達が言っていた。

「私本当は史学がやりたかったのに…どうしてこうなっちゃったんだろう…」

誰もが…誰もが希望のかなう世界なわけないじゃない。

だから、苦労して涙を流す人も、自分を捜して苦しんでいる人もたくさんたくさんいる。

分かったようなこと言うんじゃないよ。

腹が立って心の中で悪態をつく。

その子の希望にみちた目に羨望と嫉妬を感じたのかもしれない。


一人暮らしをしてから、母にまかせっきりだった食事の支度も自分でしなくてはならない。

普段買い物をしなかったから、この機会に必死になって働く人たちをたくさん見てきた。

働く人は美しいと思う。

脂ギッシュな頭で表面的なことしか言わない偉い人よりも、頑張っている人をネタにして小馬鹿にする芸能人よりもずっとずっと尊敬できる。

仮面浪人しなければ、もしストレートではいっていたら、私はもっとつまらない人間になっていたと思う。

今の常態を納得したいからそう思うのかもしれない。


先日友達の家で、入学式のビデオを見た。

私が映ってた。

つまらなそうな表情だった。

記憶が一気によみがえった。

あの時私は絶望して、入学式だというのにこの大学を絶対に出てやろうと誓った。

あれから9ヶ月。


その意志はまだ生きている。

何も努力をしようとしなかった一年前の私は読者モデルの少女をどうこう言えるだろうか。

ダメでもいい、人からバカにされても、なじられても嘲笑されてもいい。

私なりの生き方ができれば。

精一杯やったという実感を得ることができれば。


私がいなくなっても世界は回っていくけど私がいなくなったら私の中の世界は終わってしまう。


努力して必ず報われるとは限らない。
だけど、成功した人は必ず努力をしている。


私なりの生き方。大丈夫。まだやれる。


私はまだまだやれるわ。




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