ありがとね。

2002年3月25日



さようなら、福島大学。
こんにちは、都留文科大学。


ターン

2002年3月2日
真希は29歳の版画家。夏の午後、ダンプと衝突する。気が付くと、自宅の座椅子でまどろみながら目覚める自分がいた。3時15分、いつもどおりの家、いつもどおりの外。が、この世界には真希一人のほか誰もいなかった。そして、どんな一日を過ごしても、定刻が来ると一日前の座椅子に戻ってしまう。


ずっとできなかったから…と、最近読書の時間が圧倒的に増えました。
ターンは、笑っていいとも!に牧瀬里穂が出演した時に知った作品でした。
あらすじだけ大まかに聞いてずっと見たいなあと思っていましたが、本屋で偶然文庫本を発見。購入したのでした。それにしても、映画原作だと思ったら違ったんですなあ。

繰り返される毎日。
何かを生み出しても、定刻が来るとすべてが元に戻ってしまう。日記も書けない、手元に品物が残らない、素晴らしい版画絵ができてもそれをストックすることができない。
歳もとらなければ、怪我をしてもすぐ直る。

毎日が、無意味だ。

けれど、ある事件をきっかけに、彼女は考え始める。

「何も生み出すことはできないと思ってきた。けれど、そうだろうか。私には何があるのだ。自己流だろうと、下手だろうと、版画だ。それなのにどうして、輝くプレートを削るのを止めてしまったのだろう。半年のうち一日でも、メゾントに正面から向かい合ったことがあっただろうか。」

「農家のおじさんがこうなったら、いずれかの一日、畑で汗をかいたのではないか。マラソンランナーだったら、一日ぐらいは根限りに走ってみたのではないか。花火師なら、見る者のない空に会心の花を咲かせたのではないか。本が好きなら一心に読み、花が好きなら見つめたろう。消えないものは、そこにしかない。」

「不毛なのは毎日ではなく私だった。そういう人間が、どうして生きている世界に戻れよう。」


泣いてました。
私は知らず知らずのうちにターンをしていたようです。

毎日は単なる繰り返しじゃない。
明日があるってことは可能性があるってこと。

前期日程を終えて、腐抜けた毎日を送っていました。
後々から考えると、ああ書けたんじゃないか、こう書けたんじゃないかと、肝心なことを書けなかったような気がして苦しかった。

やっぱり素晴らしい大学でした。ここで是非、学びたいと思いました。

それだけに苦しかったのです。

やはり、無駄な一年間を過ごしたのか、自問自答しても、答えは見つかりませんでした。

誰も答えを教えてくれません。

鬱屈した毎日を過ごしていました。


この本に出会っていなかったら、私はきっとターンから抜け出せなかった。
自分が、ターンしていることすら気付かなかったでしょう。
一つ一つの言葉がすっと胸に染みていくのがわかりました。無我夢中で読みつづけました。


毎日は、繰り返しじゃない。


この本に出会えて、本当に良かった。

ただ、著者近影を見て、女性を想像していたのでタマゲタ。
まだ、栗本薫と北村薫、高村薫がごっちゃになっているようっス。

それじゃあ

2002年2月25日
行って来ます!
幸福ってなんだろうと最近思う。

金メダルを取ること。

確固たる地位を築くこと。

有名になること。

たくさんの財産を所有すること。

有名大学に入ること。

誰かを愛すること。

家族と仲良く暮らすこと。

多分いろいろ。

でもどれだけの人が思い通りに生きられるかと思う。

みんなどこかで妥協しなくちゃいけない時が来る。


必死に努力した人が望まない結果になったとき、私は心底悲しかった。

大して努力もしないで結果を手に入れた人がいた時、私は心底憎いと思った。

でも、そんなものだろうと思う。

栄光を、成功を手に入れるのはほんの一握りの人。

それはちょうど一握の砂のようなもので、

零れ落ちる砂を尻目に、手に残るたった一握の砂だけが選ばれた者なのかもしれない。


それでも、自分がやってきたことが無駄だったなんて思いたくない。

例え、大きな手のひらで転がされただけだったとしても、もがいた分だけマシだったと思いたい。

みんな戦ってる。

私がぼんやり考えている間に死んでしまう人がいる。

私がご飯を食べている間に、戦場に赴く少年がいる。

私がお風呂に入っている間に、誰かが泣いて、誰かが笑ってる。

人間は脆くて、儚い生き物だから、自分が不幸か、幸福かの判断を誰かと比べることによって理解しようとする。

それは正しいけれど、きっと間違ってる。

棺桶に入るまで、私の人生を誰かに評価されるなんてまっぴらだ。


戦いを放棄しなかった分、何かを得られたのかな…

それは、今現在、考えるべきことではないのかもしれないけれど。
吹っ切れた。

そりゃもうさっぱりと。

2月に入ってから精神的に追い詰められていた。

落ちたときの身の振り方をただ一心に考えている自分に嫌気が差して、いっそのこと死んでしまおうかとも思った。

遊んでいる友達を見ているとき、私の中には常にもやもやしているものがあった。自分のつまらない存在を疎んじ、くたびれた。ただただ、疲れていた。


きっと私は大学に現役で入り、適当に遊んで公務員になるのだと思った。

公務員になるのは安定しているから。親に小さいころから繰り返し言われてきたから。

枠からはみ出すことが怖かった。社会のレールから落っこちなければ、私には平凡だけれども幸せな日常が待っているのだと思った。

だけど学校でも、家でも、落っこちる怖さを教えてくれても、落っこちない怖さは教えてくれなかった。

テキトーに遊んで、テキトーに恋愛して、テキトーにバイトして、飲んで騒いで、きっとそんな毎日が続いていくんだろうと思った。
大学には社会人がたくさんいた。

「社会人になって何を学ぶんだろう。」

たくさんの年代の人がいた。

「二浪じゃカッコつかないかなあ。」

主婦、社長、公務員、会社員、私たちよりもずっと年上の人たち。

「どうして学ぶんだろう、何で学ぶんだろう、私たちはなぜ勉強しなくてはいけないんだろう。」

どうして、あなたたちはそんなにも生き生きとしているのだろう。

だって、大学なんで最後の遊び舎でしょ。

大学卒業したら働かなくちゃいけないから。

今のうちにたくさん遊んでおかなくちゃ。

就職に有利だから、だから一応大学出ておかないと。

動機なんてそんなもんだ。知識は詰め込んでいくもの、私のからっぽの頭に詰め込まれ、吐き出されては詰め込まれる、ただそれだけ。


違う、違う、違うんだ。

そんな風にしか捉えられなかった自分が恥ずかしくて情けなくてしょうがない。

誰かから強制されて学ぶんじゃない。
自分が学びたいから、自分をもっと大きくするために、視野を広げるために、知識を広めるために見識を広げるために、

だから、私たちは学んでいくのだ。


結果は受け止めよう。

もう片方の足は踏み外してしまったんだもの。もう片方の足を踏み出すだけ。ホラ、頑張れ。

だいたい仮面浪人なんてあんまり経験する人、いないんじゃないかな。

かっこ悪いけど、遠回りしてばっかだけど、だけど、ちょっとカッコいいかもよ。




飛べるさ

2002年2月4日
願書を出しました。

結局迷いに迷って前期と後期に第一志望の大学に出しました。

確率ははっきり言って低いです。

ゼロではない。けれどもそれはもう賭けのようなものです。

母にはしつこく言われました。

「あんたが資格を求めるか、それとも大学にこだわるか、それによって判断は変わってくるだろう。けれども、私たちは何も言わない。自分で決めなさい。」

ここ数日間、考えつづけました。

何のために勉強してきたのか。なぜこうやって敢えて人と違う道を選んだのか。それは自己満足のためなのか。それとも結果が欲しいからか。


中期日程の受験校で必要な受験許可証を教務に頼んでいた時に、係のおじさんと若い男性が二人並んで渡してくれました。そのときに、

「頑張ってください。」

思いがけない言葉だった。

もっとドライに対応されるかと思っていたから。

そして、

「いつだってここへ戻ってきていいんですからね。」

救われた。

泣いた。

誰かに…誰かにそう言って欲しかった。

居場所が欲しかった。休みたかった。走りつづけることに疑問を抱き、不安で夜眠れなかった時もあった。

地元の友達が普通に学生生活を楽しみ、彼氏と付き合っているということを聞いたときも苦しかった、寂しかった、そして羨ましかった。自分が取り残されていくような気がした。私は器量もそんなによくないし、何かが優れているわけでもない。ずっと考えないようにしてきたけど、いたって平凡な人間だ。取替えが効く、いらない人間だ。きっと気付いた時には一人ぼっちなのかもしれない。周りに誰もいなくて死んでゆくのかもしれない、考えれば考えるほど怖くて、怖くて、悲しかった。

私が正しい選択をしたのかは分からない。
もしかしたら間違った選択をしたのかもしれない。
最良の選択はもっと他にあったのかもしれない。


だけど誰も判らないだろうと思う。


私の気持ちも、その判断も、誰かに評価されるためのものじゃないから。

ずっと誰かに誉められる人生を目指してきた。
ずっとレールからはみ出すことを恐れてきた。
今なら分かる。誰のためでもない、アンタが、自分が選択したんだから。自信を持ちなさいよ。踏ん張りなさいよ。やれるよ。頑張れるよ。


大丈夫。飛べるよ。



咳をしても、一人

2002年1月29日
コンビニに行って立ち読みをしていたら、唯一自分の再受験を話した子が友達とやってきた。

店内を大騒ぎをして帰っていく。

…なんだ、楽しそうじゃん。

その後違う友達がやってきた。

ひとしきり話をした後、

「でもさ〜買い物大変だよね。駅までえっちらおっちらって。」

「え?友達と行かないの?車に乗せてもらえばいいじゃん。」

「……。」


私は親しい友達がいても、その子を家に滅多につれてこなかったし、遊んだりもしなかった。

人とあまり深くならない程度に交流してきた。

それは家にこられても参考書がたくさん散らばっている状況を見せたくないし、買い物にしても遊ぶにしても、極力外に出ることを避けてきたし、言ってみればこの一年は半引きこもり状態だった。

それに対して後悔はしてない。一生に一度でも、ひとつの目標に向かって全てを捨てる覚悟で挑むことがあってもいいと思う。

でもこのコンビニの件で自分の存在の薄さを感じた。

自分がいなくたってみんなそれなりに楽しんでるんじゃん。

当たり前よね、誰しも受験する為に大学に入るわけじゃない。

自分の立場が特殊なだけ。

だけど、頭で分かっていても、実際そんな光景をまざまざと見せ付けられると、虚しくなる。

もうダメかも…

他大学に行っても二浪だし、戻っても自分の存在は薄いし。

私は間違ってたの?

馬鹿な選択をしたの?

適当に遊んでいればよかったの?

死にたくなる。

もう私がこの場所にいる理由がない。

ただ、疲れてる…
まだ迷ってる…

目標校を前期に受けようと思う。

後期をどうするか。

後期は判定Dです。

でも私と同じ得点代で受かっている人もいる。

それに面接だけだから、私の考えを聞いてもらうには絶好のチャンス。それにこの大学なら落ちてもスッキリするかもしれない…

でも私の信念は「この大学に受かる」よりもむしろ「この学部に受かる」ということが根本的にあるから、それを考えると危ない橋を極力避けた方がいいと思う。

親は危ない橋を渡らせたくないらしく、目標校はやめた方が良いと言ってくる。もっともだと思う。でも余裕のない私はつい喧嘩腰で電話を切ってしまった。
ゴメン、母さん。

友達に「夏休みに…」
「春になったら…」

そんなこと言われる度に、遊ぶ計画を立てるたびに、私は一体どうすればいいのだろうと思う。

私の居場所なんてあるんだろうか。

分からない…分からない。

2月2日までに決めなくちゃいけない。

ひとつの道を選ぶことはその他の可能性を潰すことになると誰かが言ってた。

今なら、分かる…

今年で二年目

2002年1月24日
センターが終わりました。布抜けた生活をここ二、三日送っております。

いやいや、学校のテストやら課題に追われていたか。

でもホッと一息です。センターが終わるまではやはり精神的につらかった。

自己採点は過去最高でした。
周りの人たちからすればきっと微々たる物でしょうけど、やっぱり自分でもやれるんだ、頑張ってよかったと思える点数でした。

ここまでこれたのは自分ひとりのおかげではなし、家族にも私の自己満足のためにいろいろ迷惑をかけました。本当に感謝です。


大学にもその旨を伝え、受験許可証をもらいに行くだけです。

後は健康診断、大学のテストとめまぐるしい毎日が続きそうですが、頑張ろう。

そして、今迷っているのは受験校のこと。

幸いにして判定がいい大学もいくつかあるのですが、私の目指していた大学の判定はBとCの間くらい。

迷ってます。

行きたくて行きたくて、たまらなかった大学だけど、行けるという確実な保証がない。

かといってその大学は二次も結構重視するので可能性がないというわけではありません。


行きたいけれど…確実性を選ぶべきなんだろうか。

でも行きたいよなあ…二年越しの夢に手が届くところまで来たんだもの。

一昨年、去年と掠ることすらできなかった憧れの大学。

その大学にもうちょっと手を伸ばすと手が届くかもしれない。

あきらめたくないね。

行ってきます

2002年1月18日
行ってきます!!

明日へのマーチ

2002年1月9日
昨日はずっと悩んでて、ほとんど勉強ができませんでした。

私はひとつのことを思い込むとそれしかできなくなるタイプで、ネットにはまるとネット以外のことは何も考えられなくなり(去年はそれで落ちた)ごろごろしだすと一日中ごろごろして(これも原因の一つか)悩みだすとそのことばかり考えてしまいます。

私が悩んでいるのは併願校のことです。
親からはっきりと私大にいけるお金はないと言われました。だから受けるつもりはありませんでした。

でもここのところ気持ちが不安定で、できるだけ多くの大学を受験したいと思うようになりました。(現役のとき、よく二校受験で平気だったもんだ)

だから二種ですが免許の取れる短大に行こうかと考えてました。親には事後承諾してもらえばいいかなと甘い考えもしながら。それで一応の心の平衡を保ってきました。

しかし、いくら後期を受けようと思っても発表や入学手続きが国公立後期の結果よりも早いため、受けられる短大が限られてきました。ほとんどは二回に分割して納入する方式ですが、それでも25万円なんてとてもじゃないけど払えません。

おまけに、多分親が猛反対をするだろうから、誰にも相談することができず、もしも仮に受かったとしてもお金を払うのは親ですから、ダメと言われればそれまでです。親は国公立の方がいいと思っているだろうし、私も心の片隅ではそう思います。
かといってこの大学にいたいかと言われても、自分のやりたいことを抑えて3年間我慢することが果たしてできるのかどうか。

私が受けようか迷っている短大は3つあります。

ひとつは関西の大学で一番行きたいですが、倍率が11倍とかなり高いのです。だけど、免許も取れるうえにサークル活動も活発で、興味のあるものがたくさんあります。

もうひとつはサークル活動が盛んな同じ関西のちょっとレベルの落ちる短大。それでも今の私には太刀打ちできるかどうか…

そしてもうひとつは関東のある短大。
この大学は3つの中では真中くらいで、でも一番就職率がよく、私が目指す職種についている人もたくさんいます。先輩も親身になってくれるそうで、いい大学だと思います。しかし、サークル活動があまりにも少なく、私ができるものも限られてます。


最初は関東の大学と、関西の一番行きたい大学を受けようと思っていました。しかし、去年は二つとも違う日程だったのに、今年は試験日が同じという最悪の事態に陥ったのです。

ここにきてなぜサークルにこだわるのかと怒られそうな気がしますが、もう2年間、部活動から遠ざかっている今、いろんな活動をしたい、ボランティアもしたい、視野を広げたいという意欲もあります。もちろん勉強が第一優先です。でもたくさんの体験をしたいという気持ちもあります。

それでどうしようかと考えてました。二種免許でも就職できる関東の大学にも大きな魅力を感じます。
だけど、関西には私がもっと大きな人間になるための機会がたくさんあるような気がします。無趣味のまま就職するのがなんとなく嫌な感じがして…学生時代に何かに夢中になっていたいという気持ちがあるんです。すごくわがままな考えです。分かってます。でも…


でも、東北から一歩もでたことがない私が、果たして関西の空気に慣れるのかというのも大きな疑問ですし、親戚もいないし、すぐに実家に帰れません。


そんな
でも…
やっぱり…
しかし…
接続詞を連呼してずっと考え込んでいたら、一日が終わってしまいました。
すごいタイムロスです。
おまけに受かってもいないのに…
そしてセンターもまだ終わっていないのに…


だから決めました。とりあえずセンターが終わってから考えます(もっと早く気付け)
それからでも十分間に合うし、今は国公立に集中しなくては。

っていうか国公立に受かればこの問題は全て解決されるんだが…何しろ自信が全くありません。かといって短大は自信あるのかといわれても、それもありません(泣)

終いには在学している大学でいいのかもしれないとまで考えるようになって…お前、それ根本的じゃん…

胃は痛いわ、物もあまり食べられなくなって気持ち悪くなってしまいました。涙ばかり出てきます。私の居場所がどこにあるのか分からなくて。


だけど、日記に書いたらなんだかすっきりしてきました。
もうここまできたんだもの。
そして後10日です。
今の私にできることは、あがいて、もがいて、やれることをやっていくしかないじゃない。

全てはセンターが終わってからまた考えよう。
センターが終わったら手続きに相当忙しくなるし。


今はできることだけを考えよう。だからネットもセンターまでやめます。


タイトルは福山の曲です。
この間かかってていいなあと思った。今まで彼の歌は別にそれほど好きという訳じゃなかったけど、歌詞も前向きだし…悲観的な私には元気の出る歌でした。


明日へのマーチか…私も明日を笑えたらいいな。
昨日検定料、交通費、宿泊費を計算してみたらへこみまくった…


30万…30万って…

………しかも必要最低限で…

親に言えない…絶対言えない…

初めてみる莫大な金額。

去年は親任せでその金額の大きさがわからなかった…

親の懐から出ると思ったからあんまり注目してなかったけど受験料って本当にばかにならないんだね…


どうしよう。バイトもしてない私にとってはこんな莫大な額のお金を今から貯めることはできず、仕送りの中からやりくりするしかない。

しかし、生活費を考えると…ああああ…

私ができること。
生活費をなるべく切り詰める。
夜は早く寝る(電気代)
食費はなるべく抑える。というか買うな。

それでも間に合わない時には申し訳ないけれど、親に催促するしかない。
ただし、仕送りからやりくりできずに催促した分の額は、何にいくら使ったのかきちんと把握しておくこと。そのためにちゃんとメモしておくこと。
そしてこの受験に決着がついたらそれを返すためにバイトすること。


親不孝な娘でマジでごめんなさい…

生きてるだけで金がかかる。世の中って厳しい。なんかお金のありがたさが良く分かりました。それを稼ぐために父親が苦労したお金を、私のわがままのために使うなんて本当に心苦しい。


初夢は郷ひろみが歌って踊る夢でした。縁起いいのか?
最近寝ることとテレビを見るときが憩いの日々になってまいりました(寂しい人生だなオイ)
数えてみたらもう9日家を出ていません(しかも平気ときた)


突然ですがワタスィーは時間を決めて勉強することができないのです。
例えば10時間やったとか12時間とかそういうのを聞くだけで「おお、すごいなあ」と感服するばかりです。集中力が続くっていうのがもっとも羨ましい。

なので、一日5ぺージとか、一単元とか、そんな風に進めますが、どうにも遅々として進んでいないような気がする…

早く野球観戦してーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!
バッティングセンターにも行きてえよ!!んが!!
一年の計は元旦にあり。
今年は志望校に受かりますように!そして素晴らしい一年になりますように!


なんか計じゃなくて願いになってしまった…

つまり目標を達成するために頑張るぞ!ってこと!


やります!



バレた。

2001年12月30日
弟にバレた。

一番バレたくなかった。

なぜなら今年弟もセンターを受けるから。

電話で言われた。

泣きたい。

まあ年末年始に実家に帰らないと時点で薄々感付かれるのがオチだろうが。

よりによってセンター前に…泣きてェ…

おまけにパソコンの調子も非常に悪し、途中で画面に縦線が入ったり、急に止まったり。

パソにそんなに詳しいわけではないので電源を抜いたりしてると余計に自体が悪化しそうだ。祈りながら電源入れてます。10回に1回の割合で正常作動する。本当はリカバリーした方がいいんだろうけど生憎やり方が分からんっス。でもパソをしないと自分の勉強ぺースがつかめない…大学が休みに入ってからは尚更。休学したほうがいいとか考えてたけど、私にとっては規則正しく生活させてくれるカンフル剤だったみたいだなあ。友達とも会えるしね。

大晦日から年末と言っても私にとっては昨日が今日に変わるだけ。

自分が蒔いた種とはいってもやっぱり悲しくて、苦しい。自分が悪いのは重々承知しているけれども。

そして学生街のこの街はすでにゴーストタウンと化しております。

そんな中で左隣サンはいまだ帰らない。

両隣とも帰ってたら元旦から大音量でロックかけようかと思ってたんだが…(いつもはイヤホンなのよネ)


さ、これからまた始めます。
最近英語の長文読解が調子悪すぎ…ヘこむっス…


ああああ早い一年だったなあ…
来年は馬鹿笑いしてたいなあ。

今日は一気に用事を片付けました。

まず大学に問い合わせ。

ある国立大。今まで仮面浪人を扱ったことがないのか、かなり邪険に扱われました。

「現在別の大学に在籍しているのですが、在籍しながらそちらの大学を受験するというのは可能でしょうか。」

「え?ダメだよ。」

「えっ?!(そんな!?)」

「辞めなくちゃうちの大学に入れないよ。」

「いや、受験する時に在籍するというのは…」

以下説明が続き、

「つまり二重学籍にならなければいいということなんでしょうか?」

「あ〜〜〜そうそうそう!」

後に応対した女の人は冷たかったけどおじさんは結構フレンドリー(?)
年末だから忙しいのか、すぐに切られました。どうもすみません。

でも後期に合格したらすごく切迫した事態になるんだなあ…二重学籍防止ということは3月31日までに退学し、4月1日には入学するというわけか。

続いてある公立大学。

同じ質問をすると、こちらは許可証が必要だそうです。願書に同封っと。

とても優しい男の人で、
「受験許可書ってどれくらいの期間で発行されるんでしょうか。」
という在籍してる大学に聞けよバカヤロ的な質問も
「あ、ちょっとお待ちくださいね。え〜と、うちの大学では1週間ですけど、今在籍している大学に聞いてみてくださいね(その通りです)年末年始は教務も閉まっているだろうから、1月7日あたりから聞いてみてはどうでしょうか。」
穏やかな声で…優しい…優しすぎる…
「願書はもう手に入れられましたか?もうそろそろ届く頃ですね。」
またもや心を打つ優しい言葉が…

その優しさに思わず、
「あの〜許可証があることで不利になるなんてことはあるんでしょうか(聞くなよ!)」
こんな質問にも
「いいえ、そんなことはありません。大検の人もいれば、浪人生もいれば、いろんな方が受験しますし、みなさん平等ですよ。」

なんて…優しいんだ(涙)
今日電話して、この人にあたってよかった…

キリスト系の大学だからこんなにも穏やかで優しいのでしょうか。大好きだー!!


ちなみにインフルエンザの注射も受けてきました。


もう疲れた

やってもやっても一向に上がる事のない成績にもううんざりだ。

もしかしてこれが私の全力なのかもなあ…

やってないからあがらないんじゃなくて、もともとこんな実力なのかも…こんな実力で大学に入れたこと自体奇跡なのかも…でもやだ…4月からまたこの大学に通うことになるのかと思うと失踪したくなる…逃げようかな(関西に)
無駄な一年だったのかなあ…

疲れちゃった。

ああ…地元の友人から最近しょっちゅう連絡が入るけど、まさかこんな状況だと知る人はいないだろうし知って欲しくもない。

どうせ金持ちの附属校。坊ちゃん嬢ちゃんがやれ慶應だ、やれ上智だやれ東大だなどとのたまうのでしょう。あとはブランドとかか。
考えてみれば異端児だったなあ私…周りは医者の娘とか教授の息子とかそんなのバッカだったもんなあ…

親に無理させて、そのうえこのザマか。惨めったらしいって言ったらありゃしない。

ああ悔しい。悔しすぎる。あがいてやるよ。とことんさ。

バカで結構。せめて努力だけはしよう。それしか取り得がないんだから。
幼稚園の時もお友達のいいところを歌おうの歌詞で「がんばり屋さんのXXちゃん〜♪」
と歌われていたっけ。

ハイよ、がんばり屋さん、がんばります。
メジャーに行くんじゃなかったんすか。そうすか。

私はまたてっきり佐々木と共にタッグでも組むのかと思ってたんですがねぃ。

そして飼い殺しになる予定になりそうな中村さんが脱出計画…と。

まさかこの争奪戦にウチの監督が参戦するんじゃとかなり不安です。かなり。

マジでやめてください。これ以上補強(なのか?)するとやってることは某球団と同じです。っていうか他球団の選手だけどやすやすと盗塁させてるイメージが…

というか、田口が来たら赤星どーするんだろ?

面子が変わりすぎるのも嫌だなあ…まあ高望みだし、今のままじゃ優勝争いどころか問題外っていうことも分かっているけれども。

そしてイマオカ。

もう…練習したら?

契約で揉める選手ってどうもイメージが悪くなってきますな(川尻同様…って言うかお前もうメジャーでもなんでも行けよ…そして二度と面見せんな)

そういや中日二軍監督招聘とか、なんか他球団に迷惑かけてばっかだな…そら怒るわ。


どうなるんでしょ。とりあえずのぐちんの名台詞が聞けなくなってしまうのは寂しいね。


自分不要論についてずっと考えていた。

当たり前のことだけど、私がいなくてもきっと世界はぐるぐる回っていく。

私がいなくなっても取替えはきく。

その場でもし悲しんだ人がいても、時が経てばきっと忘れられる存在になっていくだろう。

じゃあ私は何のために存在してるんだろう。

結果がダメで、元の大学に戻ったとしても、自分がやりたいことを抑えていくとしても、きっと何も変わらない。

ただ、平坦に毎日が淡々と流れていくのだろう。

そして私は何か「やりたかったもの」の代わりを見つけて、それをさも面白そうにこなしていくのだろう。バイトをし、サークルに入って、適当に誰かを好きになり、そんな風にこれから3年間…

そんなもんだろうと思う。

今日はやる気が出なくて少ししか勉強をしなかった。

テレビで読者モデルになるという夢を果たした16歳の女の子が言っていた言葉。

「努力すれば夢は必ずかなうんだから」

何にも分かってないね。

この世界に、努力して、ふんばって、それでも夢破れて去っていった者が何人いると思う?

わたしはそういう人を何人も見てきた。

そして最近も友達が言っていた。

「私本当は史学がやりたかったのに…どうしてこうなっちゃったんだろう…」

誰もが…誰もが希望のかなう世界なわけないじゃない。

だから、苦労して涙を流す人も、自分を捜して苦しんでいる人もたくさんたくさんいる。

分かったようなこと言うんじゃないよ。

腹が立って心の中で悪態をつく。

その子の希望にみちた目に羨望と嫉妬を感じたのかもしれない。


一人暮らしをしてから、母にまかせっきりだった食事の支度も自分でしなくてはならない。

普段買い物をしなかったから、この機会に必死になって働く人たちをたくさん見てきた。

働く人は美しいと思う。

脂ギッシュな頭で表面的なことしか言わない偉い人よりも、頑張っている人をネタにして小馬鹿にする芸能人よりもずっとずっと尊敬できる。

仮面浪人しなければ、もしストレートではいっていたら、私はもっとつまらない人間になっていたと思う。

今の常態を納得したいからそう思うのかもしれない。


先日友達の家で、入学式のビデオを見た。

私が映ってた。

つまらなそうな表情だった。

記憶が一気によみがえった。

あの時私は絶望して、入学式だというのにこの大学を絶対に出てやろうと誓った。

あれから9ヶ月。


その意志はまだ生きている。

何も努力をしようとしなかった一年前の私は読者モデルの少女をどうこう言えるだろうか。

ダメでもいい、人からバカにされても、なじられても嘲笑されてもいい。

私なりの生き方ができれば。

精一杯やったという実感を得ることができれば。


私がいなくなっても世界は回っていくけど私がいなくなったら私の中の世界は終わってしまう。


努力して必ず報われるとは限らない。
だけど、成功した人は必ず努力をしている。


私なりの生き方。大丈夫。まだやれる。


私はまだまだやれるわ。




模試の結果が返ってきました…

見なきゃ良かった。

そしてセンターによっては変わるかもしれないいくつかの大学の受験許可証発行の類の有無を聞かなければならないのに、ぐずぐずしていたらもう年末。教務係はまだやってるんだろうか。もう休みに入ったのなら年明けすぐに聞かなくちゃ。


そして昨日アポなしで病院に行ったら予約しなければインフルエンザの注射を打ってもらえないと。おまけに季節はずれらしいっス…
正露丸とパブロンを買ったがこれで防げるんだろうか…

しょうがなく帰ろうとしたら帰りの電車を何秒かの差で乗り遅れ、暇つぶしのために買出しに行くとなぜか購買欲が出てきて、豆乳、野菜ジュース、牛乳の合わせて計6kgを背負いながら
「なぜ…?」
そりゃアンタが買いまくったからさ…


年はこっちで越します。
虚しい正月になりそうだ。
でも自分で決めたことだから。

よっしゃ!やるぞ!

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